【動画】三陸の灯だった 呑ん兵衛横丁の名店、62年最後の1日

三陸の灯のような居酒屋だった。

鉄のまち、岩手県釜石市の「お恵」が6月25日、62年の歴史に幕を下ろした。

かつて製鉄所脇にあった呑(の)ん兵衛横丁の代表店。小さなカウンター越しに見てきた街の浮き沈みは、戦後日本の縮図だった。

昭和、平成、令和と三つの時代にまたがって、1人で切り盛りしてきた店主は菊池悠子さん(86)だ。誰もが本名ではなく、店名の「お恵さん」と呼ぶ。

地元出身でデパートの販売員だった。戦後復興で栄えた街にはかつて百貨店があった。担当はネクタイ売り場だった。

帰宅前に同僚たちと立ち寄ったのが横丁にあった「お恵」。首都圏に転居するという女性店主から継がないかと誘われ、未知の世界に飛びこんだ。

鉄のまちは終戦直前、2度の艦砲射撃を受けて焼け野原となった。戦争で夫を失った女性らの引く屋台が横丁の原点だ。

お恵さんが店を継いだ1963年、市の人口は過去最多の9万2千人。製鉄所員に加え、港に入る漁船員で横丁もにぎわった。

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常連客でにぎわうカウンター越しに笑顔を見せる菊池悠子さん=2025年6月25日午後6時28分、岩手県釜石市、関田航撮影
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常連客と笑顔で会話を交わす菊池悠子さん(左)=2025年6月25日午後4時7分、岩手県釜石市、関田航撮影

「スムーズに通れなかったもんね。人とぶつかるような感じ」

ただ、すぐに製鉄所の合理化が始まる。高炉が閉鎖され、地域産業が空洞化した。2011年の東日本大震災が追い打ちをかけた。津波で街は一変。お恵さんは惨状に声を失った。

震災でプレハブの仮設飲食店街に移ることをよぎなくされた後、6年前に独立して構えたのが最後の店となった。

閉店を決めたのは今年5月だった。保健所の営業許可の更新時期を前に悩んだ末だった。「まだまだ続けたいけど腰が痛くて。口だけは達者だけど」。すぐに全国のなじみ客らに電話で報告した。

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カウンター内から客と会話するお恵さんと、名物のイカの一夜干し=2025年6月10日、岩手県釜石市、山浦正敬撮影

震災を経て、市の人口は2万8千人台へ。減少は止まらない。お恵さんは、街が元気だったころの横丁のにぎわいをなつかしく思い出す。

店の最後の日。当時を思わせるようなにぎわいで店は満たされた。

8人も座れば満席となるカウンターを、閉店を惜しむ常連客らが埋めた。遠方からの懐かしい顔もあった。

お恵さんのモットーは、どうせ笑うなら大声で笑った方がいい。いつもと同じようにおしゃべりと笑い声が絶えなかった。

「素人の私をお客さんが育ててくれた。特に震災時は大変だった。でも、多くの人と出会えて本当に楽しかった」

午後8時半、お恵さんが戸口で「ありがとうございました」と深くおじぎをし、最後の客を見送った。そして店頭の看板の電気を消した。62年前から続けてきた日課が終わった。